よく見て、見えないなら感じて 感じないなら、口をふさいで 沼に潜って。
作る人のそれぞれの人生がこもったものを、愛するのならば、僕らは余計なことを言わず考えず、ただそのものを愛すれば良いと思います。
言わず考えずというのはニュアンスが難しいですが。
そこにあるものは作る人から生まれた、その人とは別の何か。
例えば、僕は僕自身の作ったものは、出来上がった瞬間に過去のものになるし、どうでも良いものになるし(語弊があるかもしれませんが、非常に伝えにくい感覚です)、僕は自分の作ったものは愛せませんが。
自分の作ったものは自分ではない。僕のものでもない。
だから他の人に、作ったものは愛してもらえれば良いなと思っています。
それで良いし、それが良いのかなと。作った人間はどこか関係のないところにいればいいかな。
作られたものを評することは余りに虚しい事だと思うし、一方で、確かにその人から生まれたそれは、その人の面影を残しながらも、関係のないものなのだと思います。
だから作られたものの奥に面影を見ても、それがその人だと勘違いしないで欲しい。それはその人の一部かもしれなくても、爪の先、垢くらいなもんです。
人生かけて作っていても、作られたものはその人ではない。
だから、本当に、そのもの自体が好きだと思えるなら、作られたものを沢山愛して貰いたいです。
僕も、好きなものを愛したい。
これのここがすごく好きなんだよ、とただ言いたいだけなんです。評するなんて虚しく情けないだけ。ましてその先の勘繰りなんていらない。
その人自身ではなく、その人が人生かけてこぼしていったものを拾って、愛したい。
それがただのファンですし、好きなものに対してはただのファンでいたい。
作る立場としていられるなら、僕の理想は、あいつすごく嫌な奴だけど、作ったものは好きなんだよな…悔しいけど。
って言われるようなやつでいることです。