知人とのやり取りの中で、メモ

先日、異性間での友情はあり得ないのか問題を聞いていて、ふと自分の中で解答が出たのだけど、
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そこからさらに、一昨日、知人から、人を好きになるのに性は必要ないのだろうか?との問いを貰って、その思い浮かんでいた解答が自分の中で確信に近づいた
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「異性間には友情は無い・異性間ではどんな相手シチュエーションであれ恋愛感情になり得る、また、人を好きなるのに性差が必要である」、

というタイプの人は、同性を好きになった事がないのだろうなと。そりゃそうなんだけど、
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そういう人は恋愛感情的な好きにつながる条件として性差がかなり優位にあるってことなんだろうな、と思うのだけど。最高位じゃないにしてもね。
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性差がある相手を選ぶ、自分に無いものを選ぶ、みたいなのは多様性のある繁殖を求める生物の本能として(結果的に)とうぜんのことなんだろうし、そこに反するからLGBTみたいなものは本能的に忌避される(例えば他人種や障害者と呼ばれる人たちに対しても)のだと思うけど、
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そんな本能的に忌避されるエリアも可能性の多様性、その一部を担う(遺伝子を残す可能性がなくとも)と僕は思う。
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また人間以外の生物では、単一の性であっても状況により単位生殖をしたり(遺伝的多様性は無くなるにしても)、異性に出会う可能性が乏しい場合は性を転換したりするものもいる。
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それはやはり種としての生存選択だろうし。
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ところで昨今、たまたま目立つ風潮としての、不倫は多様性を求める生物の本能とも言えるだろうし、LGBTは行き詰まった種としての自浄作用として性を見直す変化なのかなと思ったりもする。
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しかし、そもそも多様な相手との交際も、同性間での交際も、はるか昔からあることで、日本は江戸までは一夫多妻だったと聞くし、同性愛もかなりあったと聞く。
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そして全てはわからないけど、様々な地域の神話に出てくる神様は同型愛車も多いが、そもそも性別が無い・または両生具有の神が結構いる。
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日本の神様もそもそもは両生具有の神から生まれたことになっている。
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性差のことだけじゃなく、人間と他の生物との合間の様な神も多い。
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本能的に性差への可能性や、異種への警戒感は持ちつつも、また一方で他の可能性も感じながら昔から人間は生きていたのかな。
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子孫繁栄の術が順当に遺伝子を継ぐ事だけではない、ということではないのかな。
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知能と精神を持った段階で、環境要因としての生きる選択肢の多様性があってもいいのかな、と思う。
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結局はみんな湧いては消えるあぶくなんだろうけど。
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花に憧れるのはあれほど性に忠実でありながら、性差も関係なく異形ものもみな愛されるから、だよなと思う、ほんとに。
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そこにあるだけで許されるんだもんね。